これは山口蘭子が愛し歌い続けてきたタンゴの名曲を集めたアルバムです。
アルゼンチンタンゴはもとより、タンゴのルーツ“ハバネラ”「ラ・パロマ」からコンチネンタル・タンゴ、さらに古賀政男・服部良一らの日本のタンゴ、そして平成タンゴの名曲「愛のタンゴ」まで網羅しています。伴奏はオランダのマランド楽団、アルゼンチンのドミンゴ・モーレス楽団、マルコーニ楽団、マモーネ楽団、日本のコロムビア・オーケストラがサポートしています。
このアルバムは、これまでのタンゴアルバムの再録音の他、新曲および新進気鋭のチコス・デ・パンパとのライブ音源も含まれ、正に山口蘭子による「BEST OF TANGO」としての輝きを放っています。
清水英雄(元日本コロムビア、プロデューサー)
“愛のタンゴ”は僕の好きな曲です。
そして、タンゴの名曲の数々を山口蘭子さんの艶やかな歌声で聴くのが楽しみです。
菅原洋一
<<”CD Journal 9月号” CD新譜視聴記/World Music評論より>>
山口蘭子/ベスト オブ タンゴ 〜さらば草原よ〜
シャンソン・シンガーとしてスタートし、タンゴと出会ってラテン・シンガーへと活動の幅を広げた山口蘭子。
7枚目のアルバムで初めて日本語によるタンゴを聴かせてくれた。主観的な好みは別れるかもしれないが、
世界にまたがるタンゴ手練れたちとの共演経験は伊達ではないことが確認できる。
DISC-1 | DISC-2 | ||
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01淡き光に | 01ポエマ | ||
02小径(カミニート) | 02バラのタンゴ | ||
03ジーラ・ジーラ | 03ラ・パロマ | ||
04ママ恋人が欲しいの | 04夢去りぬ | ||
05永遠に別れを(アスタシンプレ・アモール) | 05ヴェニ・ヴェン | ||
06さよならも言わないで | 06最も美しいタンゴ | ||
07ラ・モローチャ | 07小雨降る径 | ||
08さらば愛しき人(アディオス・コラソン) | 08夢のタンゴ | ||
09想いの届く日 | 09赤い靴のタンゴ | ||
10スール(南) | 10夜のプラットホーム | ||
11エルチョクロ | 11雨に咲く花 | ||
12君を待つ間(フマンドエスペロ) | 12愛のタンゴ〜愛は喜び愛は涙〜 | ||
13さらば諸君(アディオス・ムチャーチョス) | 13最後のコーヒー | ||
14チキリン・デ・バチン | 14歌いながら(カンタンド) | ||
15郷愁(ノスタルヒアス) | 15白いスカーフ(エル・パニュエリート) | ||
16失われた小鳥たち(鏡の中のつばめ) | 16夜のタンゴ | ||
17ラ・クンパルシータ 18さらば草原よ | 17追想(レメンブランサ) | ||
18ピアニスタンゴ※インスト | |||
19パリのカナロ※インスト | |||
※曲目・曲順は変更の場合がございます。 |
2016年7月20日発売
日本コロムビア COCP-39645〜6(2枚組) ¥3,900(税込)
シャンソンやアルゼンチンタンゴ、ラテン界などで高い評価を受けている日本人歌手・山口蘭子の新曲「ステージ」(5月28日リリース)が大好評だ。
同曲の作詞は北島三郎の「北の漁場」などで有名な作詞家・新條カオル氏が担当。
日本語の歌詞でありながら、作曲家の斎藤覚氏とのコンビによって、これまで世界中で活躍してきた山口にふさわしい名曲に仕上がっている。
他にも「愛のかげろう」と「夏蜜柑の花〜お母さんありがとう〜」の2曲を収録。こちらは両方とも2009年に発売されたアルバム「愛のタンゴ」に入っており、ラテン&シャンソン界では大人気だ。
(東京スポーツ、2014年6月13日)
秋深く、しみじみとしたシャンソンの響きが胸に染みる季節。
ラテン歌手の山口蘭子がシャンソンを歌った9枚目の2枚組ニューアルバム「愛の道」をリリースした。
早大仏文科卒業。09年にはアルバム「愛のタンゴ」が話題に。
今度のアルバムは音楽評論家の瀬川昌久氏が「多くの日本人歌手が日本語詞だけで歌っている名曲に、あえてフランス語を加えている」と評価。収録曲は「愛の道」のほか、「水に流して」、「巴里祭」、「愛の讃歌」など26曲。
(日刊現代2012年11月12日)
Disc1 | |
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1 | 聞かせてよ愛の言葉を |
2 | 歌い続けて |
3 | もう森へなんか行かない |
4 | 愛はあなたのように |
5 | 愛の道 |
6 | 枯葉 |
7 | ウィーンにて |
8 | 一人暮らしのワルツ |
9 | 私の神様(MOn Dieu) |
10 | 夢のタンゴ |
11 | パダム パダム |
12 | 水に流して |
13 | 涙 |
Disc2 | |
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1 | 巴里祭 |
2 | 私に人生と云えるものがあるなら |
3 | 未練はないの |
4 | アルフォンシーナと海 |
5 | バラ色の人生 |
6 | 夜のタンゴ |
7 | アデュー |
8 | 谷間に眠る者 |
9 | 群衆 |
10 | 小雨降る径 |
11 | 夏蜜柑の花 |
12 | 愛の讃歌 |
13 | もし |
ラテン・タンゴ歌手としてこれまでキャリアを着実に重ねたベテラン歌手、山口蘭子が今回シャンソンを中心にしたアルバムを制作した。いつもの彼女らしいパッショーネートな歌唱を一部封印し、デビューしたころの初心に帰って、昔学んだシャンソンに挑むという意欲作らしく、この乙女らしい愛の歌、単純なメロディーながらも難しいこの不朽の作品から歌っている。
ダリダが1983年に歌った「ステージの上で死ぬ」というタイトルで、日本のシャンソン歌手もよく取り上げている。詩の内容とうらはらに、ポップなリズムに乗り切れない歌手がほとんどだが 山口はラテン出身だけあって ノリはばっちりだ。なおこの内容の歌詞は古くアルゼンチンのメルセデスシモーネの傑作「カンタンド」の本歌取りである。
「私の青春はいってしまう」という原題で、フランソワーズ・アルディの歌唱(1967年)で、日本ではテレビドラマのテーマに使われてからにわかに彼女の名前がクローズアップされた記念碑的な歌だ。ここでは山口自身が訳詞を手がけている。彼女の歌をやさしく包み込むようなピアノが美しい。
サルヴァトーレ・アダモが1967年に発表した美しいメロディー、ここでは真咲みきの訳詞を歌っているが35年ほど前、深緑夏代のコンサートにゲスト出演した真咲(宝塚時代は真咲みのるの芸名)がこの歌を歌ったことを鮮烈に憶えていたので大変懐かしいナンバーだ。
「すべては愛のために」というタイトルでおなじみのピアフ=モノーコンビの大作で、このアルバムのメインタイトルにもなっているほどだから、山口のこの歌への愛はひとしおだろう。なおここでは銀巴里時代から訳詞を手がけ、大成した鬼才なかにし礼の訳詞をとりあげている。
ハンガリー出身のピアニスト、ジョゼフ・コスマがローラン・プティのバレエのパド・ドゥのために書かれたモチーフに詩があとづけされ、イブモンタンが歌って数年後にヒット。プレブェールの脚韻の比類なき美しさを表現すべくフランス語で歌っている。
遥かパリを離れきて、ウイーンの美しい秋の情景の中で恋人を偲び、もう一度やり直したいと願って終わる美しいバルバラの歌世界。亡きムッシュ矢田部の訳詞が光る。
イタリアのシチリアのメロディにシャンソン、タンゴに造詣の深い五木寛之がセンチメンタルな歌詞をつけたクイック・ワルツで最近シャンソニエでときどき聞くことが多くなった。
1960年に発表されたピアフ晩年の畢生の大作、作曲したシャルル・デュモン自身が歌ったものも素晴らしいが、山口蘭子はここでピアノだけの伴奏で正面から挑んでいる。
フランスで生まれたタンゴで日本に入ってきたヨーロッパタンゴではもっとも古く1932年頃にはもう踊られていたという。残念なことに歌でいいものが少なくインストで演奏されることが多かったせいか今ではあまり聴かれることがなくなってしまった。フアンにはうれしい懐かしいメロディーである。
1951年に発表されるやシャンソン界を席巻するほどの話題を呼んでヒットを記録したヴアルス。ここではオーケストレーションに凝って、あえてミュゼットらしさを消してこの楽曲が持つ不思議な世界を表現している。
これもまたシャルル・デュモンが若き日、ピアフにプレゼントしてピアフの晩年の奇跡の復帰を飾った作品。このアルバムでは山口蘭子はピアフの大作を数多く取り上げているがその中でも彼女のこのアルバムにかける意気込みが伝わる熱唱だ。
ジャック・ブレルの心打つ詩とメロディー、この歌をレペルトワールに加える彼女のセンスは素晴らしいし、バックに静かに流れるチエロのオブリガードもこの歌の持つ深さ、そこの秘めた強さを表現して聴くものの胸を熱いもので充たす。
ルネクレールの名作「7月14日」は邦題「巴里祭」と名づけられ昭和8年に公開された。映画ではコーラスとメロディが流れたのみだったが、リスゴーティがのちに主題歌「巴里恋しや」を歌い、日本でも淡谷のり子他が録音した。ここではベルエポックのパリを偲びながら美しいクゥプレと忘れられないルフランのワルツを山口蘭子が情感込めて歌っている。薩摩忠の訳詞もおなじみのもので可愛らしく美しい。
歌い継がれてきたアメリカのフォークソング。高石ともやの歌でおなじみの美しい曲。山口の歌も、力を抜いてしみじみと歌っていてその落ち着きある歌唱に癒される。
リシェンヌ・ドリールが歌い、日本では1950年代に「恋はせつなく」のタイトルでお馴染みになったシャンソン。ここではギターの切ないソロにのせて原曲のボレロのリズムをよく消化して歌っている。
一時期 アルゼンチンから公演に来た女性アーチストがこぞって歌った美しいフォルクローレ。山口はこのレペルトリオは歌い慣れているだけに完璧な歌いぶりで申し分ない。バックのバイオリンのポルタメントも甘く悲しい。
山口は今回、原語でこのピアフの大曲に正面から歌い挑んでいる。もともとはブルースとして書かれているが バラードとしてアレンジされることが多いようだ。
戦前のドイツ映画「夜のタンゴ」(ポーラネグリ主演)の主題歌で、おなじみの門田ゆたかの訳詞(ディックミネが昭和16年に録音)をダイナミックなオーケストレーションで歌っている。バンドネオンのスタッカートに似せたアコーディオンとバイオリンの掛け合いが秀逸だ。
もともとはイタリアのカンツォーネで、フランスに入ってイベット・ジローがタンゴのリズムで歌っている。1950年代のはじめ、日本で初演したのは深緑夏代で彼女自身、多田玲子の名前で訳詩も手がけている。ここではオリジナルのビギンのリズムに情感を込めて、男と女の別れを船出というシチュエーションに託して歌っている。
ランボーの詩に山口蘭子自身が訳をつけたもの。早稲田大学仏文出身の彼女の知性がにじみでるような作品。しかも情緒過多にならずこの反戦詩を淡々と表現するところが彼女の歌人生の精進によるものと確信する。
原題は「誰も私の悩みを知らない」という南米のヴァルス。ピアフがこの歌を気に入り自分のレペルトワールに取り入れたのは有名なエピソードだが今はシャンソンのスタンダードになった。アコルディオンの聴かせどころ満載の秀逸なオーケストレーション。
ドイツ人が書き、ティノ・ロッシが歌ってその甘い声で世界を席巻したヨーロッパタンゴの代表作。日本人が好きなメロディラインで戦前から歌われているシャンソンの一つだ。
山口蘭子の故郷、山口県の花、夏蜜柑の花に亡き母への慕情を託した彼女のオリジナル作品。チエロの深くたゆとう調べが山口の歌に寄り添い、心を打つ。
ピアフの熱い愛を詠った詩にマルグリット・モノーの傑作のメロディー。この作品を原語で味わうとその韻と語感の美しさ、強さに心打たれる。この不朽の大作に原語に挑戦した山口の心意気を買いたいし、そのエモーショナルな表現も鮮やかだ。
スペインのシンガーソングライター、ルイスペライスが書いた爽やかなフォークソング調の恋唄。日本でも永田文夫の訳詞を竹平光子などラテン歌手がよく歌っていたものだ。山口蘭子がコロムビアからデビューしたときのシングルにも収録されているが、この涼やかな歌をあえてラストにもってきた山口蘭子の今の歌人生のありようが、私にはとてもうれしい。
大半の曲の伴奏はドミンゴ・モーレス楽団。ヴァイオリンはピアソラ楽団のヘルナンド・スワレスパスとペレシーニ。ピアノのアンヘル・サンソー、コントラバスのオラシオ・カパルコス、バンドネオンの米山義則の3人はフェデリコ楽団。カルロス・ガルシア楽団と2回、その他何度も来日しているモダン・タンゴの鬼才ドミンゴ・モーレスが楽団のリーダを勤めており、曲のアレンジとバンドネオンを担当。
山口蘭子のオリジナル曲を、<鍵盤の幻想家>と呼ばれるピアニストのホルヘ・アルドゥのアレンジでアルドゥ四重奏団が伴奏する。バンドネオンのエリベルト・オルギンの天才ぶりは強く印象に残る。
日本の曲は、オルケスタ・ティピカ東京の中心的な存在だった志賀清、我国の誇るバンドネオン奏者の京谷弘司、アレンジを担当したピアニスト加藤真由美、コントラバスの松永孝義、シンセサイザーの斉藤英司が担当。
世界有数のオランダのマランド楽団をバックに、新星山口蘭子がコンチネンタル・タンゴのヒット曲を歌う。このアルバムでのマランド楽団は、1980年に亡くなった初代マランドの息女リアの夫エヴァート・オーヴァウェクが指揮をとり、コンサートマスターにハンガリー人のエルーノ・オラーニ、アレンジとアコーディオンをヘニ・ランゲフェルトが受持つ18名編成。
マランド・オーケストラと山口蘭子さんとの協演の提案がありましたのは、日本コロムビアからで、その時私は彼女のアルゼンチンタンゴのアルバムを通じて山口さんのことは存じておりました。彼女は美しい声で、魅力的なレディです。
このアルバムの完成には、編曲者であり第一アコーディオンのヘニー・ランゲフェルトをはじめメンバー全員が最善を尽くしました。
日本の方々がお楽しみ頂けると思います。
リア・エヴァート・オヴァーエーク(マランド・オーケストラ)
山口蘭子は、“こうのあゆこ”というペンネームで作詞・訳詩5曲も含んでいる。
民放・NHKでも放送される。
1994年。解説は大森茂。
若いタンゴ歌手として注目される山口蘭子のアルゼンチン・タンゴ集に続く第2作は、戦前のなつかしいコンチネルの名作14曲。「ポエマ」「碧空」「バラのタンゴ」「私の心はヴァイオリン」をはじめ、服部良一作の「夢去りぬ」「夜のプラットフォーム」まで加え、独、米、西、仏4ヵ国語に自ら作詞した日本語を交えて、まことに甘美に情緒たっぷりに歌う。「ヴェニ・ヴェン」など原曲のラクェル・メレの名唱にも劣らぬ。すごい天才歌手の誕生だ。マランド楽団のシンプルな伴奏も最高。
今では大変有名になったアストル・ピアソラの曲がタイトル。現在のタンゴ界では世界最高峰と言われるバンドネオン奏者ネストル・マルコーニ楽団の伴奏。
1998年夏、ヴェノスアイレス、イオンスタジオでのレコーディング。ピアノは子息のレオナルド・マルコーニ、コントラバスのオスカル・ジウンタ、他ヴァイオリン3名、ヴィオラ、チェロの8名編成。解説は高場将美。1999年。
<“失われた小鳥たちに寄せて”野村耕三>
1998年日本コロムビアから「バサラ」でデビュー翌年日本のタンゴの名曲「雨に咲く花」をリリース・ヒットさせ、デビュー10年目のこの「失われた小鳥たち」で、山口蘭子のしっとりと或は艶やかな歌唱が光り、聴き応えある作品に仕上がっている。
タンゴに情熱を燃やし、その魅力を日本でもっと多くの人々に知ってもらおうと、タンゴ・ライブハウスを経営し自ら歌った日々のメモリアルな一枚。タンゴ界では珍しく、コンサートで一晩に500枚以上を売り上げた逸品。
レコーディングの折、才能を認められ、アルゼンチン滞在を強く望まれたが、自身の日本でのタンゴ・ライブハウス、銀座「オルキディア」のため帰国。
「オルキディア」では日本タンゴ界の一流プレーヤー達、志賀清氏、京谷弘司氏、岩崎宏氏、加藤真由美さんと淡路菜穂子さん、歌手の前田はるみさん達と共に、日本でのタンゴ・シーンの拡大に努めた。オープニング・コンサートは、バンドネオン小松亮太と小松真知子タンゴクリスタル。
ヴァイオリンのレイナルド・ニチェーレやウルグアイのドナート・ラシアッティとも共演。
山口蘭子はタンゴ歌手として活躍する一方、ラテンの名門“有馬徹&ノーチェ・クバーナの最後の専属歌手としてラテン音楽にも精通。
エドワルト・ベリスタインは、グロリア・ラッソをはじめとする有名歌手との共演も多く名門レーベル「ムサール」にも様々の録音を残している。
この録音では、ベースのルーベン・オルヴェラ、高名なミュージシャンの父親から天賦の才能を与えられたパーカッションのミサエル・レジェスと共演。
メキシコ滞在中、オルキディアの愛称でTVやラジオの歌番組に出演。
特に、「ラジオ・メキシコインターナショナル」では、ラテンの他、リクエストで日本の歌やフランス語によるシャンソンも歌い、全米やヨーロッパまで放送される。放送終了後は電話やFAXが局に殺到。また、他局の歌番組では、高名な作曲家アンヘル・エスピノッサから直接絶賛の電話も入ったほど。
山口蘭子のCDの中で人気の絶えないベストセラー。センティミエント・ボレロの決定版。
山口蘭子の新境地を開拓した1枚。このアルバムは、マリアッチと呼ばれるメキシコ独特の郷土楽団をバックにして、山口蘭子は本場の歌手にもひけをとらない見事な演唱をくりひろげる。
“伴奏をつとめるマリアッチ・ドスミル(マリアッチ2000)は、ルイス・ミゲル、ビセンテ・フェルナンディス、ファン・ガブリエル他の錚々たる人気歌手と共演してきた、メキシコ第一級の楽団なのだが、そのリーダーやプレイヤーたちが、「ランコは日本人なのに、どうしてこんなにメキシコ的な歌い方ができるのか?」と舌をまいたという。私たちが外来の音楽に接する場合、文献を調べて講釈を垂れたり、本場歌手の唱法を真似てうたったりすることは簡単だが、その神髄をつかむのはむつかしい。最終的には技術よりも「心」の問題であり、当人の感受性や人間性がモノを言うからである。この点、山口蘭子はたぐい稀な素質の持ち主だ。旺盛な探究心で、さまざまなジャンルに挑みながら、決して器用貧乏におちいることなく、それぞれの歌の本質をつかんで、現地の人のハートまで、みごとに捕らえてしまう。このニュー・アルバムは、そんな彼女が築いた金字塔のひとつと言えよう。ぜひ、ご一聴をおすすめしたい。 <永田文夫>“
タイトルの「ククルクク・パロマ」は、日本のラテンコンサートでもマリアッチスタイルで披露され、多くの聴衆の心をとらえ山口蘭子(オルキディア)の18番となっている。
「5」の“ジョララス(あなたの涙)”は、ハビエル・ソリスが歌いヒットさせたボレロ・ランチェーロ、スペインのサラ・モンティエールもカバーしている曲だが、今回のレコーディングの中で、メキシコのディレクターがたった一度だけの録音でOKを出した程の表現力のある素晴しい歌唱になっている。
「7」の“悲しみの牧場小屋”は、カンシオン・ランチェーラの名作。メキシコでは古くからローラ・ベルトラン、アイダ・クエバスなどが競ってうたっていた。現地での吹き込みの折も、アレンジャーが、「どうして日本人なのにこのように上手に表現できるのか?」と驚嘆したが、オルキディアは、この歌を一番うたいたかったそうだ。
「10」の“忘れられずに”は、現在メキシコで人気絶頂の若手歌手アレハンドロ・フェルナンデス(父親はカンシオン・ランチェーラの大御所ビセンテ・フェルナンデス)が歌い、1998年のグラミー賞ラテン・ポップス部門にノミネート、チャート1位を獲得。
美しいバラードにランチェーラの匂いもただよわせ、さりげなくうたうオルキディアの白眉の逸品。2009年秋、この歌の山口蘭子訳詩の「忘れさせて」が、全国発売予定。
「12」の“あきらめ”は、アントニオ・バルデス・エレーラの代表作でハビエル・ソリスがうたいヒットしたカンシオン・ランチェーラのワルツ。1964年ラテン・フェスティバル来日公演のステージでマリア・デ・ルールデスが披露。
自分の恋をあきらめる女性の悲しみを、オルキディアが見事なエクスプレッションで聴かせ、感動したマリアッチのメンバーが今宵は一晩中彼女の歌を聴きながらテキーラを飲み明かしたいと言った。
このCDのジャケット写真はメキシコの水郷ソチミルコの船着場、カラフルなイメージが、このアルバムに収められているメキシコ・ポップスの多様性を連想させる。現代メキシコのアーティスト感覚も、このアルバムでは感じられる。
「アルマ・ミーア」(私の魂)と題されたこのアルバムは、山口蘭子が心をこめてうたうロマンセ(ロマンティック・バラード)やボレロの数々。約半数はおなじみの深い名曲だが、快くさわやかな彼女の歌声によって、あざやかにリニューアルされ、きわめて斬新な印象を与える。特筆すべきは、トップを飾る「私は幸せ」をはじめ、「ひとりにしないで」「道化役者」「アルマ・ミーア」「月日が過ぎても」などは、日本人による初めてのレコーディングであるということ。積極的に本邦初演に挑むその探究心と努力には、敬服のほかはない。さらに、「恋人よ永遠に」「いのい煌めいて」といったアルバム・ナンバーも、聞きどころのひとつと言えよう。(永田文夫の解説抜粋)
「アルマ・ミーア」と題された1曲目の「私は幸せ」は、グァダルーペ・ピネーダの歌だが彼女よりも明るいトーンで日本語訳詩も好評。日本の他の歌手からの譜面依頼も多い。
「8」の“道化役者(ファルサンテ)”は、ボレロ・ランチェーロのスタイルでハビエル・ソリスがうたい、後チェロ・シルバがリバイバルさせている。難度の高い曲だが山口蘭子の好きな歌のひとつ。
「14」の“月日が過ぎても”は、スペインのヒット曲で「抱きしめて」のラファエル・フエロの作曲。当時、日本では殆ど歌われたことがなく、メキシコで山口蘭子がロシオ・ドゥルカルの歌を聞き、アルバムに収めた。
山口蘭子のレコードデビュー曲。
折りしも今、時代劇ブームで、平成の若い女性たちが“バサラ”精神の武士たちに興味を抱くのは確固たる強い信念をもつたくましい男たちに惹かれるからでしょう。
カップリング曲は、スペインのシンガーソングライター、ルイス・ペラレスの「もし」。
この曲はNHKでも放送され好評を博し、山口蘭子のメキシコ録音のCD”アルマ・ミア”の中に収録されています。
(訳詩:永田 文夫 氏)
昭和10年に関種子がタンゴで歌って大ヒットし、昭和35年には井上ひろしがロッカバラードでリバイバル・ヒットさせた。映画「愛と哀しみの旅路」の挿入歌となり、1991年、新アレンジのタンゴで山口蘭子が歌い、関種子の歌と、半世紀を隔てたカップリングで日本コロムビアより発売された。
同時にビクターの故青江美奈もロッカバラードで山口蘭子と競演。当時、新聞・週刊紙を賑わし三度目のリバイバル・ヒットとなる。山口蘭子は、明大マンドリンクラブ専属歌手として、学生達とともに全国キャンペーンを展開した。
山口蘭子が、このシャンソン・アルバムで今日多くの日本人歌手が日本語だけで歌っている名曲に、敢えてフランス語を加えていることを、私は高く評価したい。
古くはリシュエンヌ・ボワイエの「聞かせてよ愛の言葉を」で始め、「枯葉」、「バラ色の人生」、「小雨降る径」、「愛の讃歌」まで、フランス語で聴けるこのアルバムは、非常に新鮮に聞こえる。
<正統派シャンソンの醍醐味> 永瀧達治(フランス文化評論家)
シャンソン界に帰ってきた歌姫、山口蘭子に私は「本能的サンパティ(共感)」を感じている。
彼女が歌い上げる抒情は日本のシャンソンの歴史、第二章のオープニングなのかも・・・。